日記・ブログ

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夜の花見、夜のフレンチ


2010年3月31日(水)


年度末。坊さん的にはなんの感慨もないけどね。昼間はずっと、原稿の校正。


19時からジムへ。28kgのダンベルでベンチプレス。それと8kmラン。


まだ7、8分咲きだけど夜桜県仏、じゃなくて見物へ・・・


目黒川沿いけっこう人がでてました。いか焼きとか、豚汁とか、キムチ鍋とか川沿いのお店が屋台を出してました。


で、僕も小腹がすいてきたので恵比寿へ移動。フレンチが食べたいというので、「ブッラセリー・モリ」へ。22時30分入店。馬、羊、子牛と肉三昧。走った意味がないぜ・・・


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ジェラルドバトラー


2010年3月29日(月)


DVDで『300』と『p.s.アイラブユー』を観る。前者は映画館でみたけど、後者は観わすれてた。


僕は、かなり前からジェラルドバトラーずきだけど、やっぱり去年の『ロックンローラー』がいいかな。『p.s.』も全然悪くなかったけど。しかし、レンタルは返しにいくのが面倒だから嫌いだな。


基本的に映画は、やはり劇場でみるのがよい。今月は『シャーロックホームズ』も『ナイン』も観たし、昨夜の『ハートロッカー』も含めてけっこう映画館に通った気がする。忙しくなればなるほど、なぜか隙間の時間をねらって無理やり映画がみにいきたくなる。


ほとんどノルマを消化するための仕事って勢いだ・・・


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フランクミューラー


2010年3月26日(金)


フランクミューラー、まじいいっす。僕も5年くらい前、かなり真剣に購入を考えていました。


ただ、僕の時計好きには波があって、いままったくの引き潮状態。ふだんは時計なしで、葬儀のときの時間チェック用にカシオの電波時計をはめるくらい。


本屋の立ち読みで、フランクの新製品はちらっとだけ見ていましたが・・・


今回うっつぃ先生の腕にはめられたフランク、実物をみて心魅かれましたね。あれは超かっこいいです。塚ちゃんも魅入られたようです。てか、余裕あれば是非買いです。


今日はうっつぃ先生と塚ちゃん御用達の「逸喜優」という二子玉の寿し屋さんで久しぶりに三人での飲み。


で、いうまでもなく今日も酔っ払いました。なんか日本酒(銀盤)水みたいでくいくいいっちゃいました。二次会もうっつぃ先生御用達のお店でごちそうになりました。


しかし、あのフランクは存在感あったな・・・


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酔っ払いの気持ち


2010年3月21日(日)


以前、仏青の宴会で酔っ払って醜態をさらした人物が、翌日みなに説教をくらった際、「そりゃ申し訳ないとは思うけど、覚えてないことあれこれいわれてもなあ」みたいなことをぶつぶつ言ってたのをふと思い出した。うん、その気持ちがよくわかる。


今日は、朝っぱらからいろんな人から説教大会。でも記憶ないんで、反省したくても何を反省したらよいのかいまいちわからない。


みなさん、僕のせいで寝不足のごようす。なぜか、僕自身は一切の二日酔いもなく寝覚めすっきり。嫌われるわけだ・・・


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酒乱


2010年3月20日(土)


春秋の彼岸は、いつも小林くんにお手伝いにきてもらっている。だいたいお彼岸2日目と3日目に来てもらう。で、お手伝い2日目の夜はささやかな打ち上げをする。今回は、戸部警察署近くの「イノウエグリグリア」というイタリアンで、チカノー先生も合流して三人で食事。


で、なぜか小林君と飲むと毎度僕のタガは外れて、大暴れの展開になる。今回は特にひどくて、というか記憶もほとんどないので、とても書けません。


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春季彼岸会


2010年3月18日(木)


今日からお檀家さんまわり。といってもすべてのお檀家さん宅に伺うわけではない。だいたい300軒弱。僕の場合、平成2年の夏に比叡山の加行を終えた直後の秋のお彼岸からまわり始めたので、今年の秋でちょうど20年になる。


そのころは365軒くらいだったので、この20年のあいだに2割以上減少したことになる。その理由は、引越し、改宗(実は実家の宗派は真言宗だったとか、嫁が創価学会だからとか、他の天台宗の寺に変わったとかいろいろ・・・)、後継者がいない、代変わり、そもそも棚経って何?って感じな人等々、実にさまざまである。


僕の坊さんの友人で年に3回も(八月の旧盆は、大学院の先輩の埼玉県のお寺の棚経を手伝っているので、実に年4回棚経に従事していることになる。いや、年始まわりや節分のお札配りまであわせると年6回はお檀家さんまわりをしていることになる。まあ、門徒の月参りほどではないけど・・・)棚経をしている人は、ほとんどいない。別に威張っていうことではないが、棚経をしているといろいろ考えさせられることがある。


まずはお布施のこと。自坊の場合、棚経のお布施の相場(というのも変だけど)は、ぶっちゃけ1000円から10000円のレンジにおさまる。誦するお経は『自我偈』か『世尊偈』で、所用時間は、読経+ちょっとした世間話をしてだいたい一軒5分前後。これを一日30~45軒、3~6日かけてやっていると、なんで葬儀のお布施はあんなに高いのだろうかとふと思ったりする。


以前、半在家出身(祖父が僧侶)の親友が、坊さんになってだいたい2、3年くらいたったときに、「本間さん、法事も葬儀も読誦するお経ってほとんど同じですよね。なんでお布施の額がこんなに違うんですかね。正直、たまに法事やるのがばからしく思えるときがあるんですよね」みたいなことを口にしていたの思い出す。


まあ、これだけ読むとそいつは、伝統ってものを何もわかってねえなとか、そういうのは本物の坊さんじゃねーとか思う人がいるかもしれない。でも、僕には、それってかなり根本的な疑問ではないかと思える。たしか、そのとき僕はあまり説得的な返答ができなかった気がする。


僕みたいに、年中棚経ばっかりをやっている身からすると、金銭感覚の根本は(こうみえても)棚経のお布施がベースになるみたいなところがある。


そう考えると、葬儀や法事で高額なお布施を払うというのは、文字通り布施波羅密、修行だなって思う。


それから、しょっちゅう棚経をしているとお檀家さんに対して当然親近感がわく。だから、そういう方が亡くなられたりすると、喪失感も大きい。通夜や葬儀の法要に臨むにあたって、いろんなことを思い出したりしてしまう。


一口にお檀家さんといっても、いろんな方がいる。一度話し出したらほとんど息継ぎもしてないんじゃないかという勢いで話し続ける方や、とりあえずなにか皮肉をいわないと気がすまないタイプ、日本茶にはじまり紅茶にジュース、羊羹やらケーキやらつぎからつぎにこれでもかっていくらいろんなものを出してくださるおばあちゃんとか、まあ、個性豊かである。もちろん、「こんにちは観音寺ですけど」「ああ、どうも」・・・読経・・・「ご回向いたしました」「ありがとうございます」「それでは失礼いたします」「ありがとうございました」と、わずか3分ほどですべてが完了してしまうお宅も少なくないが。


正直、いまのご時世、棚経というのはほとんど押し売りに近い側面もなきにしもあらずだ。ただ疎遠になりがちな寺檀関係において、少なくとも年に数回何らかの接点をもつことの意味は大きいと思う。


この時期になるといつも考えることである。


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