日記・ブログ

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格之進


2010年2月27日(土)


土曜日だけど法事なし。


実際は、カレンダーへの記載ミスで、三月二十七日だと思っていた法事が本当は今日だったらしい。


そんなこととはつゆ知らず、お台場のシネマメディアージュの無料チケットがあったので、呑気に「パーシージャクソンとオリンポスの神々」を観る。


なんだかなーって感じ。何の映画が忘れてしまったが、以前、メディアージュで映画観ていたとき、途中で火災報知機の鳴って、途中で画面が消えてしまったことがあった。結局誤作動だったわけだけど、そのおわびとしてタダ券をもらっていた。


この映画は、タダ券でいくか、1000円の日にいくのがよいでしょう。


終って、恵比寿のチャンピオンペントハウス近くの焼肉屋「格之進」に初挑戦。悪くはないけど、いいというわけでもない。肉は岩手産。岩手県にはどちらかというと悪くないイメージをもっているんだけど、ここのサービスがちょっと押し付けがましい。残念・・・


会計でワイン4500円の記入漏れあり。その場では気付かず、恵比寿駅のクレープ屋(「ひいらぎ」=たい焼き屋が閉まってた)で注文しているとき、やけに安いよなと思ってレシートチェックしてワインが計上されていないことが判明。わざわざ支払いに行ってもらう。


気のねー詫びだけ。二度と行くことはねーだろう。同じくらいの値段なら、まあ、「チャンピオン」にしとけと・・・「牛の蔵」も異様に味落ちたし。


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「葬儀式に見る不易流行と死後の安心(アンジン)について」


2010年2月25日(木)


仏教ホスピス当日。十一時から、本日一緒にお話しをする、神奈川県仏教青年会の賛助会員で、葬儀全般について相談業務を行っているNPO法人の副理事長をなさっている先生と最終打ち合わせ。


いうまでもなく、三十分遅刻。事前に遅れる旨をお伝えし、町屋駅近くのマックで待っていてもらう。さっせん。


デニーズに移動して、段取りチェック。


与えられた時間はだいたい1時間。参加者は二十名強。題名を聞いて、今回は大変難解な話というイメージを持たれた方も多かったようだが、副理事長先生の豊富でわかりやすい具体的な事例に会場の雰囲気もすぐに和やかに・・・


僕も、「六根段」というお経の同一箇所をいわゆる普通の漢文素読バージョンと意訳した書き下しバージョンを読経し、聞き比べてもらうなどして、注意を喚起する。


普段から、聞いていて意味がわかるようなお経をセレクトしたり、発声の工夫や飽きがこないように漢文素読と書き下し読誦を両方を取り入れてバリエーションをつける等の試みを個人的にしていることを話す。


お経がどんなことをいっているのか、おぼろげながらでも聞いてすぐに理解できたほうが、もちろんよいとは思う。ただそれはそれとして、個人的には、読経を聞いているうちに気持ちよくなって、スーッと眠りに導き、起きたらなんか癒されてたみたいに感じてもらえたら勝ち!みたいなことを考えたりもしている。


話は、脱線するが、小中学校の学級崩壊じゃないけど、法要中にひそひそ話している人、ひそひそを越えて堂々と話している人が増えている気がする。もちろん悪気はないんだろうけど、あれはあれでけっこう気になったりする。


話はもどって、講演後の質問で、素読と意味がより取りやすい書き下しバージョンの印象、好みを参加者に聞いてみたいということで、挙手してもらう。ほぼ全員、書き下しがよいとのこと。


もっとも参加者から、この二者択一は意味がないとの指摘があった。この方は、浄土真宗の門徒さんであるというが、同宗の法要ではすでに現代口語で聞いてすぐわかる経文が用いられているとのこと。また曹洞宗の修証義も同様だという。


そもそもなんで読経をするのか、どういう意味があるのかという質問もあった。あまりにストーレートすぎて、あまり満足いく回答ができず、落ち込む。聞いていて何をいっているかわからないお経に長い時間つきあわされるのはかなり苦痛だという。まさに本音であろう。


坊さんの多くは、こういう率直でリアルな意見交換に慣れていないことが多いし、どちらかというとそういう議論そのものを好まないといえる。僕自身は嫌いではない、というかむしろ好きなんだけど、だんだんヒートアップしすぎて、ふと気付いたときには、ドン引きムードになっていることが少なくない・・・いつもの焼鳥屋トークならよいけど、今回も少しその弊害がでてしまった気がする。


ということで、今回の勉強会の総括。副理事長は数多くの勉強会を主催されており、参加者が何を求めているかツボをおさえていて、うまく引き付けていました。見習う点が多く、僕自身、いろいろ学ばせていただいた。


僕の話は、ついてこれねーやつは置いてくぞ的なスパルタンな体育会系ノリが強すぎる面がある。その意味で、勉強会にくる人が求めているものとの間に齟齬があったように思う。


参加者の一人に、僕の話はわかるけど、もう少し、なんとか自分もがんばっていけるような気になれる、勇気というか、優しい声をかけて欲しいです、みたいなことを言われた。正直、最初、何を言っているのかよくわからず、意味不明の回答をしてしまった。


このやりとりが、その後ずっと頭にひっかかっていて、銀座への移動中のタクシー、喫茶店、イタリアンでの食事中もその質問の意味、自分は何をどうこたえるべきだったのか考えていた。


独善


僕は、TDLに行けば、同行者を全てのアトラクションに乗せるべくかけ足で移動し、レストランに行けばとりあえずリコメンドを自分と同じ量食べさせる。あるいは、旅行に行けば移動時間九割、観光時間一割の地獄のスケジュールをつくり、気合で自分が決めた行かねばならないスポットを消化しないと気がすまないタイプである。


これこそが愛の証だぜって思うから当然の行動なんだけど、相手は必ずしもそうとは受け取っていないようである。それは、相手の「また来ればいいだけじゃないの」という冷静で賢明な指摘に顕著といえる。僕自身、たしかにもっともないいぶんだなとは思う。でも、やはりそれに与することはできないのである。


坊さんモードのときも、これと似た傾向が出てしまい、自力を前面に打ち出したものになりがちだ。方便を用いた気の利いたものいいが得意ではない。なんていうか、そういうのは偽善っぽい感じがしてしまうからだ。もちろん「信」をよりつよく打ち出した他力というのもピンとこない。


ということで、今回の講演は、構成自体は悪くなかったけれど、その後、参加者との質疑応答のなかで、こうした未熟さを露呈しまい、落ち込む結果となってしまった。


ブルーな気分は、グラッパを飲んでも全然スッキリしなかった。


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VERY直葬


2010年2月23日(火)


今日は久保山火葬場で直接待ち合わせの正真正銘の直葬。荼毘に付した後、十五分ほど読経、そのあと簡単にご法話をさせていただきました。


お檀家さんではなかったので、故人と見識はありませんですが、百歳にとどかんとするほどの長寿を全うしての大往生。ご遺族もひどく悲しんでおられました。ご遺影も大変温厚で優しそうでした。おそらく生前からみなに愛された方だったのでしょう。在りし日が偲ばれます。南無妙法一心観仏・・・


直葬でも十分心のこもったお見送りは可能だと思いました。何故か、精進せねばと、ふと自省してしまった。


なぜか、夜は「コララインとボタンの魔女」を観る。「アバター」もそうだけど、3D作品は、今後不可避的に増えていくんだろうけど、なんか疲れる。年齢のせいなのかな・・・


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