日記・ブログ

icon TODAYも煩悩無尽誓願断



2009年 11月 *12月-

 

2010年 1月- *2月- *3月- *11月*12月



館山若潮マラソン


2010年1月31日(日)


今週は、月曜日に天現寺のもんじゃ屋で飲み、(後で触れますが)水曜日からは毎晩というか毎朝帰宅が三時、四時。とてもブログどころではなかったのでした・・・煩悩無尽誓願断!


そんなバッドコンディションのなか、いよいよマラソン当日がきてしまった。


スタートは10時。でも当日のエントリーが9時までなので、朝6時10分頃、館山に向けて家を出る。真っ赤な朝陽を眺めつつ、首都高、アクアライン、館山道を順調に走って1時間20分程度で目的地に到着。ロックシティ館山内の駐車場に車を停めて、500メートルほど離れたエントリー会場に徒歩で向かう。


まず、ゼッケンを受け取る。よせばいいのに会場内の屋台でうどんを食べる。その後、マラソン関連グッズを販売する出店をのぞき、アームウォーマーを購入。


さらに会場をうろうろしていると、地元の方がお汁粉と焼き芋を無料で提供しているのを発見。うどんを食べた後だったけれどなんとなく見過ごすことができず両方いただく。とてもおいしい。だが、このいじきたなさが死を招く。


突然ビックベンを知らせる合図が鳴りだす。やばっ。会場内を見回し仮設トイレを見つけてあわてて駆け込む。まだ混雑前だったので余裕で第一波をクリア。だが、ホッとするのも束の間。駐車場に戻るや第二波が・・・ロックシティ内のトイレを探しまくり、なんとか命拾い。レース中に第三波が来ないとよいが・・・不安がよぎる。


レース前からお約束のハプニングとは、疲れました。ただ結論からいうと、結局第三波は来ず、レース中は一度もトイレに行くことなく、完走することができました。ピース。しかし、内容的には目標だった3時間30分以内には遠く及ばず、3時間43分18秒という惨敗であった。


原因を分析すると・・・これはかなりはっきりしています。


(1)27日:綜佛で今年度最後の研究会の後の焼肉&飲み。28日:神奈川県仏教会の新年会(3時半帰宅)。29日:天台宗神奈川教区新年賀詞交歓会(5時帰宅)。で、3日連続の深酒&朝帰りという乱れきった生活。


(2)練習不足。11月の月刊走行距離が約100km、12月が122km、1月が221km。11と12月の走りこみがいかにも少なすぎるし、レース前に少なくとも3回程度はしていた20キロ以上の走りこみを1回もできなかったこと。少なくとも11月はあと100km、12月はあと180kmは走り込みたかった・・・というか走り込まねばならなかった。


(3)ダイエット失敗。(1)の飲みが物語るようにこの三ヶ月の酒量は、ハワイ、忘・新年会、クリスマス、正月シーズンだったこともあり、半端じゃなかったような気がする。恐くて体重計にはしばらくのっていないけれど、正座の痛みから推測するにベストを8kg程度オーバーしているはずだ。


(4)シューズを買うのをけちったこと。これも飲みすぎとリンクする自業自得なのだけれど、これまでにないレベルでの財政状況の悪化で、とてもレース用のニューシューズを買うどころではなかった。


ということで、一年二ヶ月前の河口湖マラソンのときにはいた靴で出場せざるを得なかった。結果、案の定レース中、足の裏の激痛を招くことになった。


この靴はかなり底が薄く、購入の際店員の人から、基本的にレース用で練習で使えば400~500kmで買い換えないとだめだといわれていた。すでに耐久距離をとっくにこえていたから、それなりにトラブルを想定はしていたことだけど、これまで経験したことのない足の親指の付け根の痛みが発生。大きなダメージとなった。


さらに付言すれば、この2ヶ月、レッグプレスのときに再発した古傷の肉離れに悩まされ続けてもいた。湿布もほとんど効果がなく、毎日のランニングでもずっと痛みをこらえながらのだましだましだった。


とまあ、昔の瀬古選手じゃないけど、レース後の言い訳はいくらでもでてくる。ただ、なにはともあれ、自分の足で42kmを走り切れてよかったとは思う。格別の感動とかはないけれど、すごくほっとしました。


今回は走る前からいつ肉離れの箇所が痛み出すか、体重オーバーの影響でいつ、すね・足首の激痛に襲われるかびくびくしていた。正直、棄権の可能性が高いなとすごく不安だった。


実際、14km過ぎに肉離れの箇所が悲鳴を上げだし、その影響から臀部から腰にかけてしびれのようなものがずっと続いた。靴をけちったことに起因するコンクリートからのダイレクトな衝撃もケガにかなりの悪影響を及ぼしたと思う。


それにしても毎度のことだけれど痛みを抱えての42kmは果てしなく長い。ほんとに長い。なんで俺はこんなに痛い思いをして走っているのか。何か意味はあるのか、走りながら何度も自問していた。


若潮マラソンの距離表示は基本的に2km。普段よく走る駒沢公園のほぼ一周に相当するからだいたいの目安をつけやすい。でも、痛みを抱えての2kmはいつも以上に長く感じる。たった2kmなのに、次の表示が永遠にやって来ないんじゃないかとさえ思えるときもあった。


でも、なんとか耐えた。給水所ごとにアクエリアスを飲み、中村屋のクリームパンを食べ、なんとか踏ん張ったのである。


この若潮マラソンはコースがよく、景色を堪能できるお薦めのレースだと思う(実際、最初のうちは海岸沿いを走りながらそれなりに自然を満喫していた)。


でも、僕の場合18km過ぎくらいから、あまりにあちこちが痛くなり、次第に目は止観のときのように半眼。ひたすら足元だけを見るようになり、口には自然と不動真言が!まさに修行状態。当然、周囲を見渡す余裕なんてほとんどなし(もっとも地元の方たちの応援はちゃんと耳に入ってきて、レース中すごく勇気づけれらた)。


しかし、レース中(少なくとも)二時間ずっとナーマクサーマンダバーサラナンセンダンマーカロシャーナソヤタヤウンタラターカンマンとか半眼で唱えながら走っている人はなかなかいないんじゃないだろうか。


でも、何といわれようと、今回はマジにお不動さまのご加護がなければ、完走はなかったといえる。あるいは痛みの軽減には薬師真言のほうがベターなのかもしれないけど、あの闘いの状況にあっては不動真言がぴったりだったと思う。


実は今回のレースでは、途中で(だいたい20km前後で)すごく不吉な痛みを覚えた。それは、なんていうか、仮に完走できても、それと引き換えに今後一生運動ができない身体になるみたいな不気味な予感がする痛みで、腰からヒザにかけて広がっていく非常にイヤーな感じのものだった。まじめな話、真剣にリタイアを考えざるを得ないような感覚で、すごく焦った。


で、がらにもなく「頼む、お不動さん力を貸してくれっ」とすがる思いで1kmくらいのあいだ、ほとんど目をつぶった状態ですべてを託すような気持ちで真言を唱え続けながら走った。すると、痛みそのものは消えなかったけれど、いつしか嫌な感じは消えて、なんとか平常心を取り戻すことができたのである。


もちろん、だから何?ってなもんだし、この程度のとっさの祈りで何?っていうのはわかるけど、本当にどうしようもなくなってしまったときに全てを何かに託して祈りたくなる気持ちが少しだけわかったような気がした、ような気がした。(素直じゃないから簡単には言い切らない)


人によってレース中の辛さのピークはそれぞれだろうけど、僕の場合は、だいたい18kmから30kmにかけてが一番苦しい。それは、たいてい痛みが出始め、距離的にまだ先が見えないからだ。


その間はいつも、もうマラソンなんかこれで最後にしよう、絶対二度と走らないぞと固く、固く決心しながら走っている。


でも不思議なことに、走り終えて3時間くらいすると、そんなことすっかり忘れている。いまは、今年はもう一レース走ろうかなって気になっている。そういう自分がこわくもあり、うれしくもある。


でも、レーシックと同じで、率先して人にすすめるかというと、そうでもない。やはり42km歩かず、立ち止まらずに走りきるのはなかなか大変だし、自発的にやってみようかなという気持ちがないと辛すぎると思うから。


▲このページの先頭へ